政策(政府)と金利(中央銀行) 2008 3 15
何度も書きますが、バブル崩壊後の日本では、
日本銀行が、いくら金利を引き下げても、結局、効果がなかったのです。
アメリカにおいて、実質金利がマイナス金利になるまで踏み込むのは、危険です。
何が、問題なのか?
それは、金利の問題ではありません。
バランスシート不況 2008 2 17
今日もまた、「検証バブル 犯意なき過ち」(日経ビジネス人文庫)という本を、
参考書として、日本のバブル崩壊後の話をしましょう。
当時、バブル崩壊後の混乱で、
バランスシート不況のことは、誰も気付かなかったと思います。
それが、どんなに恐ろしいことになるか、わからなかったのです。
(以下、引用)
バランスシート不況とは、
「資産価格が急落すると、貸借対照表の資産は、急激に目減りするが、
負債は、そのまま残り、自己資本比率が低下する」という仕組みだ。
今、考えれば、簡単な理屈だが、バブル崩壊直後に気付いた日本人は少なかった。
(以上、引用)
当時は、「やがて不動産価格が回復すれば、問題は解決する。
だから、痛みを伴う公的資金の注入は、急ぐ必要ない」と、
まるで合言葉のように、みんなが言っていたのです。
しかし、結果は、どうなったか。
バブル崩壊後の不景気、あるいはデフレの進行で、
不動産価格は半値、場所によっては、4分の1になってしまったのです。
いくら日本銀行が金利を引き下げても、
いくら政府が財政出動しても、結局、効果がなかったのです。
そして、バブル崩壊後、約13年が経過して、
2003年、政府が、りそな銀行に、巨額の公的資金を注入して、
バブル崩壊後の経済に、終止符が打たれることになったのです。
後の祭り 2007 11 25
今日もまた、日本のバブル崩壊後(失われた10年)について、
話をすることにしましょう。
金融システムは守らなければならない。
しかし、結果的には、金融システムを守ることはできない。
今でも、よく言われることは、
バブル崩壊の初期の段階で、つまり1992年に、
当時の宮沢首相が、不良債権問題を一掃するために、
公的資金を10兆円程度投入すべきであると主張したことがあったと思います。
しかし、この話は、いつの間にか立ち消えになったと思います。
それは、当時、住宅金融専門会社に対する、
7000億円程度の公的資金投入ですら、世論が大騒ぎとなっていたからです。
当時の雰囲気では、やはり貸手責任論というものが非常に強く、
7000億円程度の公的資金ですら、非難の的になっていたのです。
ましてや、10兆円の公的資金など、口が裂けても言えない雰囲気だったのです。
今から思えば、1992年に10兆円の公的資金投入を断行していれば、
「失われた10年」にはならなかったでしょう。
そして、日本のバブル崩壊後は、軽傷に終わった可能性があるのです。
どうして、そういうことができなかったのか。
それは、ひとつには、こういうことが原因だと思います。
知識人ですら、
「政治や社会のことは、よくわかる。
しかし、経済は、わかりにくい。
さらに金融システムとなると、さっぱり、わからない」ということです。
(これは、日本だけでなく、世界各国に共通した現象です)
知識人ですら、こういう状態ですから、
ましてや、一般大衆に、金融システムの重要性を理解してもらうのは、
極めて困難なものとなります。
そういうわけで、「金融システムは守らなければならない。
しかし、結果的には、つまり政治的には、金融システムを守ることはできない」となるのです。
すべては、後の祭りなのです。
あの時、1992年に、公的資金を10兆円程度投入していれば・・・・・。